僕自身は、そのへんの事情にそれほど詳しくはないのですが、自分なりに説明してみます。
むかしは、建設や港湾などの現場で働いている日雇い労働者の人たちが多く住んでいました。
そうした人たちが住んでいた場所は、一日の宿泊料を払えば泊まれる簡易宿泊所で、「あんなところは宿(ヤド)じゃないよ。ドヤだよ」と言って「ドヤ」という呼び名が生まれたそうです。
![2002年、寿[kotobuki]「オリオン」](https://kisekinouta.up.seesaa.net/image/2002E382AAE383AAE382AAE383B3E68B8DE6898B.jpg)
時代が変わり、バブル経済が崩壊した頃から建設関係の仕事が少なくなってきました。「ドヤ」と呼ばれていた簡易宿泊所も、日雇いの人たちだけじゃなくバックパッカーなどの旅行者も気楽に泊まれるように改装したりしました。
高齢化社会に伴い、もともと日雇いで働いていた人や、なにかの事情で家族と暮らせなくなった人など、寿町に住んでいる人たちも高齢化し、生活保護を受けてなんとか暮らしている人たちが増えました。
そして「ドヤ街から福祉の街へ」と呼ばれるようになったのかな……と僕の少ない知識では思っています。
寿町に住んでいる人たちが変わると、寿町フリーコンサートの雰囲気も変わります。
『奇跡の詩』で僕が撮り続けてきた映像は、10数年分でしかありませんが、それでも寿町に住んでいる人たちが変わった様子は、少し感じることができます。